わたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身になりますように。
聖書 ルカによる福音書 1章38節より抜粋
少々前の話になりますが、昨年の12月に子どもたちは、
先生方からすてきなクリスマスプレゼントをいただきました。
それはイエスキリストの生誕劇でした。
12月になると街中はクリスマスシーズンを迎えて、
イルミネーションにショッピングにとにぎやかになりますが、
学園ではアドヴェントガーデンと呼ばれる降誕節のお祝いによって厳かに12月を迎えていました。
シュタイナー学校はキリスト教を教える学校ではありませんが、
厳しい寒さの中に光を待ち望む冬の祝祭として、クリスマスを祝います。
いよいよイエスキリストの誕生を祝う日が近づいた23日に、先生による生誕劇を親子で観劇しました。
イエスキリストの誕生の話は何度も聞いていましたが、学園の劇を観るのは初めてでした。
まず驚いたのは、内容が庶民的だったことです。
劇には、イエスの母と父になるマリアとヨセフが愚痴をこぼす場面などもあって、人間味があふれていました。
イエスキリストの生誕と言えば、歴史的にも大きな出来事で、今に至るまで華やかにお祝いされていますが、
実はとてもありふれた日常での出来事であったことを知りました。
ごく貧しい夫婦が神様の働きを信頼し、子どもを授かり、その時、歴史は大きく動いていたことに心動かされました。
冒頭に紹介した聖書の箇所は、劇中のマリアの台詞ですが、
このマリアの言葉から、神さまの計らいを信頼することを選んだマリアの強さが伝わってきます。
日々の出来事を大切に受け止め、見えない計らいを信頼して歩めているかと言えば
そうでないことが多いのですが、
日常の中にこそ宝のような出来事が隠されているのかもと思いました。
そしてこのような思いを持って、新年を迎えることになりました。
子どもたちもまた、あの素敵な空間のなかで、何かきっと感じるものがあったのではないかと感じています。
(2年生 保護者)