887FFF86-A50D-4106-8341-E04CB4657C1012年生舞台演劇が真新しい北校舎の広々したホールで上演された。
演劇者から見ると、この学校の一番の先生は低学年の子供たちだ。
毎日目にする1,2年生の子供たちは、ただ立ってる姿だけでも無邪気で、
とてつもない創造力に満ち溢れている。
その存在感はどれだけ見ていても飽きず、湯水のように生命力を
与えてくれる。
あれはいつから?どうして失われていってしまうのだろう?
 
千秋楽を迎え、彼らの舞台では一体何が起きていたのか?
それは観劇下さった方々のこれからの人生の中で
育っていくことだろうが、闇に彷徨わせてはならないので、
この物語の作者の意図をお話ししたい。
作者は宮沢賢治先生であるから、賢治先生のこの作品の
創作の意図ということになる。
それはズバリ、元々は人間だった人たちが信号機や電信柱
という機械的な存在になってしまったというホラーだ。
人は歳増すごとに硬直化していくわけだが、近代には
それを早める装置がある。そういった文脈を持っている。
現代において、どこにでもある我々人間の実態から
この物語は始まる。
 
パンフレットにあるように、子供たちから上がったメインテーマは「願いは叶う」だ。
我々現代人はあまりにも容易に情報が手に入ったり、マニュアル化されている故に、
熟練すればするほど緻密な計算が働き、結果として訪れる状態をかなり明確に予測し、
はなから取り組みの有無を決めてかかってしまう。とても諦めが良い人種になっている。
面白いことに、「目の前の現実は全て心の中の影響を受けている」という、
こんな曖昧模糊な話を物理学者が叫び始めた。計算ではこうだけど、
願うとか祈るとか想うということによってその計算が当たらないという結果が起きるということだ。
自分に嵌まり込み、思考に嵌まり込み、記憶に嵌まり込んでいる。
そういう不自由さの根源からいかに離脱するか?
それがこの物語における作者の意図であり、それはそのまま子供たちの俳優としての
準備作業になった。
 
今回取り組んだ舞台はドラマ劇とした。身振り手振り言葉の内容ではなく、
心から心に伝わるものによって、心癒される演劇だ。
 
この2週間のほとんどを子供たちは清々しいホールで生活した。
よく「役を演じる」というが、これは正確な表現でなく、混乱を生む。
「役を生きる」「舞台上で生活する」が好ましい。
俳優が自分ではないものになって舞台に立ってしまったら、
ほぼ間違いなく観客は見るのが辛くなる。我々はいつからか日々素の
自分を何処かへ仕舞い込んで全く別人を演じている。
現代社会は自分ではないものを演じる人で溢れて出来上がっている。
だから見る者を辛くする。
これは、子供の頃あれこれ周りの大人から注文が飛び交う中を
生きてきたことによる。
「こうした方がいい」「ああそれはダメ」「何をしているの」
そんな親や教師の無責任な善意、それを子供たちは素直に信じる。
そういう善意と素直さが招くホラーがある。
そうして周りの大人たちの要望を全て漏れなく採用し
パッチワークされて出来上がったものが、その子が一生
自分の人生を委ねる思想価値観となる。
また、どうにもひとつの人格にならず統合失調を起こすのだ。
イエス様もお釈迦様も孔子様も、ほかでもないこれが
全ての元凶であることを悟られた。
 
面白いことにドラマ劇はオーソドックスな宗教と
よく似た癒しをもたらす。
その第一の条件が「自分から自由になる」で、
演劇では「第一の壁」と呼び、日常的に自分が常に
提案され続けている状況から自分を解き放つ。
第2第3の壁もあるが、この第一条件が出来ている俳優は
かなり観客を見惚(みと)れさせる。世阿弥が語った「花」だ。
 
この手の劇では観終わった観客が、よかった、感動した、
泣けてきた、ジーンとしたなどその気分を語ることが多い。
しかしその訳を語ろうとしてつまってしまったり、
なんとか言ってみても希薄なものにしかならない。
そうした光景は深い癒しを与えることに成功したことを意味する。
言葉にはならないものが心から心へ伝わったいうこと、
これも世阿弥の言葉「以心伝心」だ。
「なぜだかわからない」のがとても良いのだ。
わかるということは自分のこれまでの思考にはめ込んだということ、
収まらないものは切り捨てたのだ。
エゴには収まりきらない、今の自分以上のものがもたらされる
験(しるし)を得た時、なんだかわからないが感動したとなる。
心から心へ伝わるということは現代にはある意味死語でもあり、
近代社会は意図的に抹殺してきたところがある。
 
今回、子供たちは、このかなり現代人にとって難しい方法に
取り組んだのだが、かなり早い段階でスイスイそれをやってのけた。
いろんな人とこの方法に取り組んできた者からすれば、
その子供たちの素養に驚かされる。
改めてこの教育が12年もしくは15年かけて
先生方が子供の中に育ててきたものの尊さを実感した。

〜「12年生劇を終えて ー2ー」につづく〜
 
(生徒の親 ふくめん演出者 CS)