先日、3学期の学期祭が行われました。
毎学期の終わりに、父兄を招いて、授業の一部を発表するのです。
3学期ということで、今年度の締めくくりでもあります。

6年生は、バイオリンやチェロなどの楽器のソロでの演奏、オイリュトミーの発表など、
さすが6年生と思える内容でした。
きっと、下級生の子どもたちも、6年生になったらあんな事ができるんだ、と、BlogPaint
期待と尊敬の目で見ていたことと思います。
こういった気持ちが、学ぶ意欲につながっていくのでしょう。

他の学年の発表も、集中力を必要としながら、
でも皆リラックスして楽しそう。
普段の授業も楽しいものなんだろうなということが伝わってきます。
知識の詰め込みでなく、歌を歌ったり、体を動かすことで、
感覚に働きかけ、身にしみこませていく・・・
ということがよくわかるものでした。

私の子どもは、1年生。
希望で胸をいっぱいにふくらませて入学してから、
早いもので一年が経とうとしています。
今回の学期祭では、自信を持って、自分の声が出ている、自分で動けている、
そんな印象を受けました。
前回までの学期祭の時と何かが違う、大きく成長している姿を嬉しく思いました。

そして何より、子どもたち全員の笑顔が輝いていて、
この学園での毎日がすばらしいものなんだと実感しました。

(1年生保護者)

 学童保育の時間、公園に行かずに学園の庭で遊ぶときには、
 3,4年生は、よく自分たちで建てた家の屋根に上がっています。屋根の上
 そこで何をするわけでもないのですが、
 ただ気持ちよさそうにあたりを見渡し、
 同級生とかたまって、ちょっとしゃべったりしながら時を過ごします。

 この秋に取り組んだ家づくり。
 本職の棟梁の指導のもと、自分たちで近くの竹林から竹を切りだし、
 柱を立て、棟を上げ、床を張り、ねっとり重い壁土を足で踏んで練り、
 壁を塗り、土間をたたき・・・
 竹ではしごも作って、屋根の上にも登れるようになっています。
 ふわふわやわらかく、かわいかった子どもたちが、
 今年度の米づくりと家づくりを経て
 見違えるようにしっかりひきしまった顔になりました。
 屋根の上から見える、地上とは違う景色、
 それは自分たちの力で得た新しい世界の姿です。
 競争に勝ったから、よい評価をつけられたから、自信がついたのではなく、
 やりとげた経験から生まれる自然な自己肯定感。
 リラックスした放課後の時間を過ごしながらも
 子どもたちから、自然体の自信と誇りがにじみでていて
 なんだかちょっとまぶしい屋根の上です。

 (学童指導員)
 

BlogPaintわたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身になりますように。 
    聖書 ルカによる福音書 1章38節より抜粋


少々前の話になりますが、昨年の12月に子どもたちは、
先生方からすてきなクリスマスプレゼントをいただきました。

それはイエスキリストの生誕劇でした。
12月になると街中はクリスマスシーズンを迎えて、
イルミネーションにショッピングにとにぎやかになりますが、
学園ではアドヴェントガーデンと呼ばれる降誕節のお祝いによって厳かに12月を迎えていました。
シュタイナー学校はキリスト教を教える学校ではありませんが、
厳しい寒さの中に光を待ち望む冬の祝祭として、クリスマスを祝います。

いよいよイエスキリストの誕生を祝う日が近づいた23日に、先生による生誕劇を親子で観劇しました。
イエスキリストの誕生の話は何度も聞いていましたが、学園の劇を観るのは初めてでした。

まず驚いたのは、内容が庶民的だったことです。
劇には、イエスの母と父になるマリアとヨセフが愚痴をこぼす場面などもあって、人間味があふれていました。
イエスキリストの生誕と言えば、歴史的にも大きな出来事で、今に至るまで華やかにお祝いされていますが、
実はとてもありふれた日常での出来事であったことを知りました。
ごく貧しい夫婦が神様の働きを信頼し、子どもを授かり、その時、歴史は大きく動いていたことに心動かされました。
冒頭に紹介した聖書の箇所は、劇中のマリアの台詞ですが、
このマリアの言葉から、神さまの計らいを信頼することを選んだマリアの強さが伝わってきます。

日々の出来事を大切に受け止め、見えない計らいを信頼して歩めているかと言えば
そうでないことが多いのですが、
日常の中にこそ宝のような出来事が隠されているのかもと思いました。
そしてこのような思いを持って、新年を迎えることになりました。
子どもたちもまた、あの素敵な空間のなかで、何かきっと感じるものがあったのではないかと感じています。

(2年生 保護者)

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